これからのお受験の意味

お受験というと、かつては、有名大学から一流の会社に勤めてもらいたいという親の願いがよく語られます。少しでもハイレベルの学校にいって、一流企業に勤めることが子供の将来に良いというのが、日本人のサラリーマン神話として定着していたことです。

しかし、今、教育のゴールが大きな変化をしてきていることは事実です。

バブル崩壊後、一流と言われた企業が相次いで倒産し、日本のサラリーマン至上主義は崩れ去ったのです。

むしろ、これからは、子供に勉強してよい学校へ入学というよりも、子供の個性を伸ばして、そこから自分探しをしながら、精神的な豊かさをもってほしいという考えに変わってきているのです。

それに呼応するかの様に、学問のみならず、多くの体験と個性を慎重させる学校が増えてきたのがその背景にあるのでしょうね。

受験の前に、今一度、子供の将来にどのような価値観をお持ちなのか見つめなおすことも必要ではないでしょうか?

お受験面接の恐ろしさ

面接において、注意をしておきたいことがあります。 それは、面接は、たとえその場だけを取り繕ったとしても、普段の家庭生活が、親子を見ただけでも分かってしまうそうです。

ある意味人間関係の構築の一つともいえます。面接官はそういったところを見ているわけですから、夫婦や親子間のお互いの視線や表情から普段の生活を見抜いてしまっているわけです。

それゆえに、お受験だから…と取り繕ったように面接の準備をすることはかえって逆効果です。

むしろ、お受験を意識するのであれば、それこそ日常の生活習慣の中から、夫婦関係、親子関係の在り方について考えて行く必要があるのではないでしょうか?

お受験での親子面接の目的

お受験で、無くてはならない面接に関して、そのノウハウは「面接のポイント」の項でお話している通りです。  ではお受験における面接の真の目的とは何でしょうか?

 昔は、子供の実力重視ということで、面接をあまり重視しない風潮にありましたが、最近では、学校側も両親と会うことを重要する傾向にあるようです。

面接はあって当たり前、子供がどういった家庭環境で育ったのか?また、学校経営の側面から見ても、小学校で6年間、一貫教育で大学まである学校なら最長で、16年間通うわけですから、学費やらその他の教育費を支払うだけの能力が親にあるのかどうか?そういったところも重要になってくるわけです。

勿論、その学校の教育に十分になじみ、学校と家族という付き合いになっていくということを親が理解しているかどうかを見るためにこの面接というものが大きな役割を占めているのでしょう。

お受験の行動観察とは?

お受験において「行動観察」が重視されることうことは前回話をした通りです。 では、行動観察とはどのようなものなのでしょうか?

行動観察とは、難しい問題をどれくらい理解しているかとか、身につけた能力がどれくらいあるのか?といたことではなく、その年の子どもにとって当たり前とも思えることがきちっとできるかどうかを見るものです。

行動観察の内容は、さまざまですが、たとえば、何かお話を聞いて、それからイメージする絵を描いたり、音楽に合わせてスキップしたり、また、何人かの子供たちと自由におもちゃを使って遊び、そこでのコミュニケーションを評価したりということです。

これらに対しての評価は、それができるかどうかということは勿論、与えられた課題をどのように取り組んでいるのかといった姿勢や、他の子供たちとの中でどんな役割を果たしているかといったことが基準になります。

お受験で重視されること

お受験と言えば、難しいペーパーテストの成績で決まるというイメージを持っている方も多いのではないでしょうか? 確かに、今でも学校によっては、親子面接もなし、志望動機書も必要なしと、ペーパーテストでの一発勝負という学校も未だに存在します。

しかし、内容が多くの学校で変わってきてていることは事実です。

実際、ペーパーテストとは、ある程度のお受験の訓練をすれば点はとれるのですが、その子供の本質や素養、そしてご家庭での生活環境までははかり知ることができません。 

むしろ、学校側が、その学校に入学してから個性を引き出す教育に変わってきていることからも、その子供の素養について重要視するような選考方法に変化してきているのです。

それゆえ、「行動観察」「親子面接」そして、「志望動機書」が選考にたいして非常に重要な役割を担っていることを忘れてはなりません。

まだあるお受験訓練の悪影響

お受験訓練が、子供に悪影響を与えるケースとはまだまだあります。いわゆる「切れやすい子」「荒れる子」が生まれやすいということもこの訓練の悪癖でしょう。

そうした訓練において、その結果ばかりに目を向けてしまうことが大きな問題となります。つまり、「できる」「できない」で子供に向かい合うことには大変な危険をはらんでいます。

「できる」という結果で子供に接すれば、子供は「勉強さえできればそれでいい」といった歪んだ優越感を持ち、ほかのことは自分の好き勝手していればよいという感情を抱くでしょう。

また、「できない」となれば、子供に「なぜできないのか?」といった目を向けることになってしまいます。結果として、自分はダメな人間、できない自分が悪いという否定的な感情を抱くことになってしまいます。

大切なことは、自分で自分をコントロールして、社会の中で適応できる人間に成長させることであり、そういう子供を学校も望んでいるということを忘れてはなりません。